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2009/9/20 敬老祝福礼拝メッセージ私たちを背負ってくださるお方
イザヤ書46章 一、
今日は敬老祝福礼拝です。私たちの主は永遠の昔から私たちを選び、そしてご自分の真実をいつまでも、-私たちが老いたときでさえ-、尽くしてくださるお方です。 二、
イザヤ書46章で神様は、バビロンの偶像が倒される日が来ることをお語りになりました。世の偶像は空しいものです。ただ私たちの神様こそがまことの神様で、そして真実なお方です。
三、 主の真実の中を歩んでこられた方を見るとき、私たちはその歩みに敬意を表すと同時に、主が私たちに真実を尽くしてくださることを知り、励まされます。主の真実を日々経験して、私たちも信仰の先輩にならう者とされていきましょう。主は私たちを「白髪になっても」なお背負ってくださるのです。 2009/9/13 聖日礼拝メッセージヘブル書講解#4~信仰の鍵
ヘブル書4章 一、
今日はヘブル書の4章です。不信仰になってはいけないこと、そのために心を頑なにしてはならないこと、しかしそれは律法ではなく、ただ大祭司なるイエス様に信頼を置くことであることが、語られます。 二、
ヘブル書の著者は4章でまず、神様を恐れることについて語ります(1節)。確かに私たちは思い違いをしてはいけません(ガラテヤ6:7-8)。そのためにはいつも御言葉を信仰によって聞くことが大切です(2節)。そして以下のことが語られます。
三、 もし私たちの歩みが「~しなければならない」というものであったなら、それは私たちには不可能なことでした。しかしイエス様は私たちの弱さをご存じで、私たちを父なる神様の前で取りなし、そして私たちを励ましてくださいます。ですから私たちは大胆に主の前に出て、そして助けと恵みをいただきましょう。そしてますます、信仰を強められていきましょう。 2009/9/6 聖日礼拝メッセージヘブル書講解#3~不信仰への警告 ヘブル書3章 2009/8/23 聖日礼拝メッセージヘブル書講解#2~私たちのために人となられた主
ヘブル書2章 一、
今日はヘブル書の2章です。主が私たちのために苦しみを受けられたこと、そして主が今、私たちを苦しみの中にあっても助けて下さっていることを、ヘブル書の著者は語ります。 二、
まず初めに、最初に聞いたところにとどまることが勧められます(1節)。それは聖書に一貫するメッセージでもあります(エペソ4:14、Ⅰヨハネ2:24ほか)。ポイントはイエス様です。このお方にのみ、私たちの平安があるのです(マタイ11:28-30)。
三、 イエス様が私たちと同じところを通って下さったこと、そのことから私たちは、主に信頼して歩むときに、イエス様の足跡に真に従うことができることを知ります。また聖霊様がその歩みを助けて下さいます。イエス様は私たちの弱さをご存じです。そしてその上で勇敢であるように(ヨハネ16:33)と励ましておられます。主は私たちを決して見放されません(申命記31:6)。そこに私たちの確信と励ましをいただいて、歩み続けていきましょう。 2009/8/16 聖日礼拝メッセージヘブル書講解#1~イエス様について
ヘブル書1章 一、
今日からヘブル人への手紙について見ていきましょう。信仰の困難に面している人々に書かれたこの手紙は、今を生きる私たちにも、励ましと慰めを語っているのです。 二、
ヘブル書の著者はまず御子イエス様について、旧約聖書の指し示していたのはこのお方であったことを語ります(1-2節)。確かに、新しい契約の光で旧約聖書を見るときに、私たちはそこに隠されていた意味を悟るのです。
三、 ヘブル書の著者は、まず最初にイエス様について語りました。それはイエス様がどのようなお方かということが、私たちにとってまず最初に大切なことだからです。世のどこにも、誰にも無いこと、ただ私たちだけが持つことを許されているのが、私たちの救い主イエス様です。確かに私たちの信仰はすべてイエス様によるものであり(ガラテヤ2:20)、それゆえ私たちはこのお方に信頼を置いて歩むのです。イエス様に信頼して歩むときに、このお方の勝利と復活の命の力が働きます。イエス様に焦点を合わせて、日々歩んでいきましょう。 2009/8/9 聖日礼拝メッセージキリストにとどまる
ヨハネ福音書15章4-5節 一、
私たちの信仰の要点は、イエス様です。聖書の教えは素晴らしいものですが、それもイエス様から切り離しては、存在し得ません。信仰生活とは教えを行うことではなく、実にイエス様への信頼なのです。 二、
クリスチャンであることは、ただイエス様に導かれて生きる、それだけです(ピリピ1:21)。逆にイエス様から外れて生きる、それが罪の本質です。
三、 一年もいよいよ後半に入っていく時期ですが、イエス様にとどまる、そのことをもう一度覚えたいと思います。ブドウの枝は木にとどまるときに枝を結びます。イエス様にとどまるとき、それはイエス様を追い求めるのではなくて、イエス様が私たちと共におられるのでそこにとどまるということですけれども、私たちは安息の中で多くの実を結ぶことができるのです(ヨハネ15:4-5)。 2009/8/2 聖日礼拝メッセージ希望
エレミヤ書29章10-11節 一、
私たちの神様は私たちに希望を与えてくださるお方です。しかしこの希望は、この世でいうところの願いや望みとは、少し異なったところがあります。 二、
神様はユダの民がバビロンに捕囚として捕らわれた時、目に見える状況の中に何の希望もないように思われる時に、回復のご計画、将来と希望を与える計画についてお語りになりました。
三、 私たちは希望がないと語られる時代、失望の時代を生きています。しかし目に見える状況に失望させられることは、幸いな経験ですらあります。その時私たちは主だけが私たちの望みをかけるに足りるお方であることを知ります(マタイ12:17-21)。主こそが私たちの救いです(詩篇121:1-2)。そして私たちは主の力強い御手に信頼し、主の希望を仰ぎ見て歩むのです。 2009/7/26 聖日礼拝メッセージ出エジプト#13~最後の勧告Ⅱ
申命記30章 一、
さて、今日は出エジプトの物語の最後、モーセから民への勧めの後半の部分です。モーセは何を大切なこととして語るのでしょうか。 二、
モーセはまず、イスラエルの民がやがて神様に背くこと、そして裁きを招くこと、しかし神様があわれみによって彼らを悔い改めさせ、そして再び集めて下さることを語ります(1-3節)。
三、 エジプトを出てから40年、主は真実なお方で、イスラエルをカナンの地まで導いて下さいました。40年間の荒野の歩みは過酷ですらありましたが、そこでイスラエルの肉の部分が削られた時に、神様の命、ご計画が解き放たれたのでした。私たちの歩みには報いがあります。ですから私たちの信仰を投げ出すことがないようにしましょう(ヘブル10:35-39)。かえって信仰を整えられて、主が与えようとしておられる地に共に入っていこうではありませんか。 2009/7/19 聖日礼拝メッセージ出エジプト#12~最後の勧告Ⅰ
申命記29章 一、
イスラエルのカナン入国を前にして、モーセは最後の勧めと戒めを語りました。それは私たちに対する勧めと戒め、また励ましでもあります。 二、
モーセはまず、イスラエルの民に神様がこの40年間にしてくださった大きな奇蹟の数々について語りました(2-4節)。しかしそれらのことによっては、民は信仰を持つことはできなかったのです。
三、 私たちは全てを知ることが許されているわけではありませんが(29節)、しかしこれまで神様が現して下さった愛と恵みは、私たちを生かすにはあまりにも十分なものでした(イザヤ43:4, 7)。私たちの救いは主にあります(詩篇121:1-2)。私たちは主に信頼し続け、そして歩み続けるのです。 2009/7/12 献堂30周年記念礼拝メッセージキリストのみわざ
ヘブル書1章1-4節 森谷 勉師 2009/7/5 聖日礼拝メッセージ出エジプト#11~カナン入国を前にしてⅠ
申命記8章 一、
イスラエルはいよいよカナン入国を目前にして、カナンの東、モアブの地に宿営しました。そこでモーセは、もう一度民が守るべき戒めについて語り、そして彼らが持つべき心について教えました。 二、
モーセはまず民に、神様の命令を守ることを命じました。私たちは確かに神様に委ねられた使命を行っていく必要があります。そしてそこで、忘れてはならないことがあるのです。
三、 神様は真実なお方で、イスラエルをカナンの地まで導いて下さいました。しかしカナンの地に入って行くにあたって彼らが決して忘れてはならないことがありました。それは神様への信頼、忠誠です。私たちも、ただ主だけを心に据えて、そして主の願っておられるところへと進んでいきましょう。 2009/6/28 聖日礼拝メッセージ出エジプト#10~モーセの失敗
民数記20章1-13節 一、
イスラエルはその不信仰によって40年間、荒野にとどめ置かれました。そしていよいよ神様が彼らをカナンの地に導こうとされた時、これまで民を導いてきたモーセが、大きな失敗をしてしまうことになりました。 二、
荒野での40年の間、神様はイスラエルの古い部分を削られ、約束の地に導き入れるのにふさわしい状態に整えられました。しかし40年間の最後の年が始まった時(20:1)に、ある問題が起こりました。
三、 モーセはこの結果、カナンに入国することができなくなりました(12節)。小さな不信仰の代償はあまりにも大きなものでした。私たちはいつも心を見張って、そして共に支え合い、励まし合って進む者となりましょう。その時、私たちは共に、主にある栄光に与る人々となるのです(ヘブル3:12-14)。 2009/6/21 父の日礼拝メッセージ天の父を見上げて
ヤコブ書1章17-18節 一、
今日は父の日礼拝です。地上での父子関係では、時々難しいことがあるかもしれません。しかし天の父なる神様を見上げるときに、この地上での父子関係もまた、感謝に変わります。 二、
イエス様がこの地上に来てくださったのは、親子の関係に和解と修復を与えるためでもありました(マラキ4:5-6)。この地上で良い親子関係を持つことは、容易なことではありません。しかし感謝なことは、私たちは主にあって全てが新しくされる人々であることです(Ⅱコリント5:17)。
三、 私たちは天の父なる神様がここまで私たちを養い、守り、導いて下さったことを覚えます。そしてその中で地上での父を与えて下さった、そのことを思うときに、様々な感情があるとしても私たちは主にある愛で地上での父を愛し、敬うことができます。それが救いの初穂としての私たちに神様が願っておられることなのです(ヤコブ1:17-18)。 2009/6/14 聖日礼拝メッセージ出エジプト#9~不信仰の結果
民数記13-14章 一、
神様はイスラエルの民が金の子牛によってその不信仰を示した時にさえ、その罪をお赦しになりましたが、民の不信仰はついにカナン入国の最初の機会を目前にして、あまりにも大きな裁きを招くことになりました。 二、
イスラエルの民はシナイの地を北上して、カナンの地をうかがうところまで来ました。そこで神様はモーセに、斥候を遣わしてカナンの地を探るように命じられました(13章1-3節)。
三、 イスラエルの不信仰から、私たちは信仰を保ち続けることの大切さを学びます(ヘブル3:16-19)。そしてそのためには、まず神様が私たちに示して下さった、与えて下さった愛を思い起こすことです(黙示録2:2-5a)。そしてイエス様が私たちの弱さを知っておられること、このお方に委ね、信頼することが出来ることを覚えましょう(ヘブル4:14-16)。信仰こそが私たちを、今ある私たちから、神様が願っておられる私たちへと変えていくものなのです。 2009/6/7 聖日礼拝メッセージ出エジプト#8~金の子牛
出エジプト記32章 一、
イスラエルの民はホレブの山で十戒をいただくという経験をしましたが、しかし早くもその不信仰を金の子牛という形で示してしまいました。 二、
モーセが神様から十戒をいただくためにホレブの山に登って、40日40夜が過ぎました。その時イスラエルの民は待つことができなくなり、アロンを脅して偶像を造らせました(1-3節)。
三、 神様の前に正しく歩む、それが私たちにとって一番良いことです。それは何かの難行苦行ではなくて、ただイエス様を見上げて歩む、シンプルなことです(Ⅱテモテ2:8)。その時に私たちは揺るがされることなく、いつも定まった状態にあることができます(詩篇57:5-7)。偶像に仕えるのではなく、主に信頼し堅く立って、今週も歩んでいきましょう。 2009/5/31 ペンテコステ礼拝メッセージ聖霊に満たされて歩む
使徒の働き2章1-4節 一、
今日はペンテコステ、聖霊様が信じる者たちの上にお下りになって、教会が始まった日です。聖霊様に満たされるとき、私たちはどのような者とされるのでしょうか。 二、
旧約の時代には、律法が与えられていました。しかし律法は罪を示すものではあっても、その罪の性質を作り変えることはできませんでした。聖霊様による新生が私たちには必要だったのです。
三、 このペンテコステの日、私たちは今一度聖霊様に満たされることを求めていきましょう。初代教会の人々がそうであったように、私たちも聖霊様によって満たされ、力をいただき、心燃やされて歩みましょう。聖霊様はこれまでも、そしてこれからも私たちを導いてくださいます。 2009/5/24 聖日礼拝メッセージ出エジプト#7~十戒
出エジプト記19-20章 一、
シナイ半島でマナの養いを受けたイスラエルは、ホレブの山へと導かれました。神様はそのところで、十戒をお授けになりました。 二、
神様はまずイスラエルに、神様がここまで導いて下さったことを思い起こすようにと語られました(19章3-4節)。そしてイスラエルを神の民とするという約束をお告げになり(19章5-6a節)、十の戒めをお与えになりました。
三、 神様はモーセを通してイスラエルに十戒をお与えになりました。それは十戒を通して神様の基準を知り、神様にその思いが向くためでした(ガラテヤ3:23-24)。私たちも御言葉を知るときに、束縛されるのでなく、むしろますます自由にされていきます(詩篇119:105)。御言葉の中に自分を浸し、主にある本当の自由をいただいて、歩んでいきましょう。 2009/5/17 聖日礼拝メッセージ出エジプト#6~マナの養い
出エジプト記16章 一、
イスラエルは紅海を渡った後で、カナンへの最短距離を取らずにシナイ半島の南、荒野へと向かいました。それは神様がイスラエルの民を試みるためで、その結果、彼らの心の中にあるものが明らかになるためでした(申命記8:2)。 二、
イスラエルの民が荒野に入ったとき、彼らは食物のことでつぶやきました。彼らは神様に信頼することをせずに、エジプトを懐かしみさえすることで、その不信仰を示しました(1-3節)。しかし神様は真実なお方で、イスラエルに対して天からのパン、マナによる養いを約束なさいました(4-5節)。
三、 神様は、このマナの養いを40年間絶えることなく、イスラエルの民にお与えになりました。この養いは日々新しく、そして荒野での歩みの間、絶えることがありませんでした。私たちもこの地上で魂に飢えや渇きを覚えることがあるかもしれません。しかし神様は日ごとのマナを既に約束して下さっています。イスラエルの民と同様に、私たちも日々御言葉の糧をいただいて歩むとき、乏しいことがなく、主の真実を経験し続けることができるのです(詩篇100:5)。 2009/5/10 母の日礼拝メッセージ愛の形
エペソ書5章21節
ヘホ・ベネディクト師
一、偽りの愛の形
私たちは「愛される」存在として造られた。しかし私たちは愛を与え損なうことがあるし、また受け損なうことがある。 私たちには「こうすることで愛されていると感じる」形がある。その形は個人によって異なる。
小さい頃に愛を十分に受けた人は、大きくなっても愛をいろんな形を通して受け取ることができる。しかし小さい頃に愛を十分に受けなかった人は、特定の形で愛を受け取ることに固執する。親子関係、特に夫婦関係の中で偽りの愛の形が暗黙の要求になる。
愛してくれるなら → お金を使ってくれるはず → 一緒にいてくれるはず → ~をしてくれるはず etc. 二、聖書が語る愛の形
Ⅰコリント13 → 愛の本質について語るが、外形的なことについては語らない。外形的には、様々な形で表現される。 良くない親の下で育った子であったとしても、神様はもう一度その与えられなかった愛を与えて下さる。もしそうでなければ、愛は釣り合いのとれない者同士のシーソーゲームになってしまう。そこで十字架の仲裁が必要になる。イエス様が真ん中に立って下さって、重しとなって安定させて下さる必要がある。
愛の形が私たちの偶像になってしまう。偶像の前で私たちはひれ伏してしまう。むしろイエス様が真ん中に来て下さることが必要。十字架に自分の愛の形を捨てて、そしてイエス様によって再生させていただく。
三、具体例
エペソ5:21
母親がまずたくさんの愛が必要。 2009/5/3 聖日礼拝メッセージ出エジプト#5~紅海を渡る
出エジプト記14章 一、
イスラエルの民はいよいよエジプトを出てカナンの地への旅を始めました。しかしその前に、エジプトから完全な解放を得る必要があったのです。 二、
イスラエルがエジプトを出てカナンに向かうとき、主はモーセに紅海の手前で宿営するように命じられました(1-3節)。私たちはしばしば災いがないことを願います。しかしイエス様が願っておられることは、私たちが患難から取り去られることではなくて、その中で守られることでした(ヨハネ17:14-15)。
三、 私たちも過去に訣別するために、あるいは紅海を渡る経験を通らされることがあるかもしれません。しかしそこで私たちは主に信頼すること、主が偉大なお方であること、そしてエジプトに完全に訣別することを学びます。主に信頼して、新しい出発をいただいた者であることを覚えて、歩んでいきましょう。 |
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