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    2009/2/22 聖日礼拝メッセージ

    Ⅰテサロニケ書講解#5
    Ⅰテサロニケ書5章
    一、
     今日はいよいよⅠテサロニケ書の最後の章です。私たちに具体的な信仰生活の歩みを示し、そして祝祷をもってパウロ先生はこの手紙を閉じます。
     
    二、
     パウロ先生は前章に引き続いて、イエス様の再臨について語ります。イエス様はご自身がお語りになったように(マタイ24:42)、突然帰ってこられますが(1-3節)、それは私たちにとっては恐れるべきことではありません。
    1. まず私たちは目を覚まして、信仰と愛と希望をもって主の再臨を待ち望むようにと勧められます(7-9節)。この世にあってはさまざまなことがありますが、神の武具をしっかりと身につけているときに、それらのことで私たちの信仰がダメージを受けることはありません。
    2. 次に、互いに励まし合うこと、また教会の監督をその務めのゆえに尊敬することが勧められます(11-15節)。私たちは神に召された人々の集まりです。それゆえ互いに励まし合い、支え合うことが必要です。また牧者が正しくその務めをすることができるように、祈りによる支えはとても大切です(ローマ15:30)。
    3. さらに、クリスチャンの霊的生活について、いつも喜ぶこと、絶えず祈ること、全てのことに感謝することが勧められます(16-18節)。私たちは簡単に不平を言いそうになりますが、主は既に私たちの内に喜びを置いてくださっています(詩篇4:7)。それゆえいつも主に感謝して、私たちは歩むのです。そして私たちは聖霊様の働きに期待しつつ(19-20節)、健全な教えにとどまって歩みます(21-22節)。
     
    三、
     私たちの歩みは、この世のゴールだけを見て歩むものではありませんが、しかし天だけを見上げて浮き足立ってしまうようなものでもありません。この地上の歩みでは、本当にいろんなことが起こってきますが、私たちは今、イエス様の復活の命によって生かされています。それゆえ感謝しつつ、「明日も生きよう、主がおられるから」、この思いをもって、今週も歩んでいきましょう。

    2009/2/15 聖日礼拝メッセージ

    Ⅰテサロニケ書講解#4
    Ⅰテサロニケ書4章
    一、
    Ⅰテサロニケ書もいよいよ4章、終わりにさしかかってきました。パウロ先生はここで、クリスチャンとしての聖い歩み、社会との関わり、そして復活の希望について語り、励まします。
     
    二、
     パウロ先生はまず、神様を喜ばせる歩みを続けるように、と語ります(1節)。全ては神様のご栄光のために、というのが聖書の原則です(Ⅰコリント10:31)。
    1. まず第一に、聖い歩みをすることが命じられます(2-6節)。私たちは世の中に生きていますが、そこで妥協するのではなく、むしろ罪から自分を離れさせ、そして与えられている自由を正しいことのために用いることが求められているのです(Ⅰペテロ2:16)。
      →そのためにも、御言葉をただ読むだけではなく黙想することは有益です。
    2. 次に愛し合うこと、そして働いて健全な社会生活を送ることが命じられます(9-12節)。クリスチャンの歩みとは、素晴らしい歩み、主にあって喜びあふれる歩みですが、するべきことを差し置いて浮き足立ってしまうような歩みではありません。クリスチャンの歩みといえども、日々の小さなことの積み重ねです。それはイエス様が私たちに戒めておられることでもあります(ルカ16:10-12)。
    3. 最後に主にあって復活の希望、再会の希望を持つべきことが語られます(13-18節)。死は私たちにとって終わりではありません。私たちには主にある復活の希望があるのです。
     
    三、
     パウロ先生はこの章で、クリスチャンとしての実際の生活、また希望について語ります。私たちはこの地上に神様の代理人として置かれており、つまり聖く、健全に歩むことが求められていますが、そのことは、現実に追われてしまって神様の視点を忘れてしまうということではありません。否、私たちはいつも主にある永遠の視点、本当の希望をもって歩むのです。今週も心燃やされて、主のわざに励んでいきましょう(Ⅰコリント15:57-58)。

    2009/2/8 吉田隆師宣教報告メッセージ

    小さなキリストの大使
    Ⅱコリント書5章17-20節
    吉田 隆師
    一、
     イエスを信じる者は、新しく創造された者である。新創造の目的は、私たちが和解の使者として遣わされることである。
     
    二、
     新改訳聖書が、使節と訳していることばは、大使とも訳されることばである。大使とは、一国を代表する者である。
    1. 一つの国(神の国)の代理者として、別の国(この世)に住む。
    2. 神の国のスポークスマンとして、神の国のことを、この世に住む人々に伝える。
    3. 自分の考えを宣べることは不要である。
    4. ことばだけでなく、振る舞いが語る。
    5. この世に住むために、様々な利便を捨てなければならない。
    6. キリストは、神の国の大使として、地上に遣わされた。
    7. 私たちも、遣わされている者である。
     
    三、
     私たちは、それぞれ、異なるコミュニティーに遣わされている。キリストの小さな大使の役割を自覚しよう。

    2009/2/1 聖日礼拝メッセージ

    Ⅰテサロニケ書講解#3
    Ⅰテサロニケ書3章
    一、
     本日は、Ⅰテサロニケ書の3章です。パウロ先生はテサロニケの人々の歩みが自分の慰めであり、励ましであること、またテサロニケの人々が主の前に聖く、責められることがない人々として建て上げられていくことを見るのが自分の祈りだと語ります。そしてそれは、私たちも同じなのです。
     
    二、
     パウロ先生はまず、迫害、困難の中にあっても動揺することがないようにと語ります(1-4節)。確かにこの世の歩みにおいては、信仰のゆえに困難が起こってくるかもしれません(Ⅱテモテ3:12)。しかしイエス様がおっしゃるのは、そこで勇敢であるように、ということです(ヨハネ16:33)。イエス様こそが私たちの信頼を置くべきお方で、そこに私たちが信頼を置き続けるときに、私たちは失望することがありません(Ⅰペテロ2:6)。
    1. パウロ先生はここで、テサロニケの人々について良い知らせを聞くことができたのは慰めだと語ります(7-8節)。私たちがイエス様に堅く立って共に歩むとき(ピリピ2:1-5)、そこには慰めさえあるのです。
    2. 次にパウロ先生は、テサロニケの人々の歩みが喜びだと語ります(8-9節)。私たちの喜びは、様々なイベントや活動にあるのではなく、実にお互いの存在、また交わりの中にあるのです(Ⅰコリント12:26)。
    3. 最後にパウロ先生は3章を閉じるにあたって、三つのことを祈ります(11-13節)。私たちはお互いを覚えて祈り、また神様の最善がなされるように祈ります(ローマ8:28)。またお互いが共に建て上げられ、主の前に聖く責められることがない者となっていくことを願い、共に歩むのです。
     
    三、
     私たちの救いの保証は聖霊様です(エペソ1:13-14)。それゆえ私たちの救いの完成を妨げるものは何もありません(ローマ8:38-39)。私たちのすべきことはそこに私たちの信頼を置いて歩み続けること、それだけです。クリスチャンの歩みの中には困難もありますが、共に主の前に聖く、傷のない者、責められるところのない者として築き上げられることを求め、歩んでいきましょう。